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2023

【プライドと見栄 3年AT 棚橋悠貴】

3年ATの棚橋悠貴です。


本文に先立ちまして、平素よりお世話になっておりますOB・OG、コーチの方々に心より感謝申し上げます。


1,2年生の頃は何を書けばいいのか頭を悩ませていたリーグ戦決起ブログが3年生を迎えた今は何から書こうと考えているのが不思議でたまりません笑


書きたいことは沢山あるのに、何故か辞めていった仲間の事が最初に頭をよぎるのは何故だろう。


きっとそれは辞めた仲間達に対する僕の後悔が少なからずあるからだと思います。


仲間が辞めていく事に対して、最初の頃は純粋に悲しくて引き留めたかった気持ちが、1人、また1人と辞めていくにつれ少しずつ「またか」「やる気ないならもう引き留めるだけ無駄だ」「自分で決めた事を4年間やり切らないなんてだせぇ」という怒りの気持ちへと変化していきました。

そして心のどこかでチームが上手くいかなかった時に「あいつらのせいで」「あいつらがいれば」と思っている自分がいました。


他責になっていた自分に気付き、情けなくなってからこの感情の動機をずっと探していました。


自分なりに出した答えは「見栄」というものです。


シーズンの中で「毎日部活に行って練習している自分は偉い」「自分はチームの中ではある程度上手いし一生懸命な方だろう」こんな考えがいつしか自分の中に生まれていました。そんな考えに共通しているのは「他の人に比べて」というワードでした。

いつからか自分に真剣に向き合うことを逃げて自集団内での優位性、存在価値を見出すことにベクトルが向いてしまっていました。目標は他チームに勝つ事だから相手はそこにはいないのに。


中尾彬(ネクタイがネジネジの人)の言葉で「プライドっていうのは能力の高い人が自分を律するために持っている物で、凡人のそれは、自分を有能な人間だと思われたい願望からくるただの見栄っていうんだよ。まったく違うよ」というものがあります。


正直僕、見栄張ってたんだと思います。


激動のチーム状況の中で周囲の雰囲気に合わせた正解を探し続ける事が習慣化していました。


思い返してみれば自分の成長のターニングポイントはいつも余計な見栄を捨てて等身大の自分と向き合って訪れました。


感謝の言葉をたくさん相手に伝えられる人は、自分を律する意味でのプライドを持っている。逆に、根拠のない空疎な見栄を持つ人は、人を心のどこかで見下して、根本的なところで信用されていない。


これが現時点での僕の結論です。


残り少ない今シーズンを感謝を忘れず、自分に対しての甘さを捨て、いい意味で「プライドが高い」人間に成長出来るよう努力します。





ここまで自分語りが続いてしまったので最後に少しだけ。


4年生へ


最初は掴みどころのない人が多いなぁーとか思ってたけど、最終的に自分の人生の中でこんなに壁をつくらず接せれる上級生に出会ったのは初めてです。正直可愛くない後輩だと思うけど、いい感じに頼ってくれる所とかなんだかんだみんな責任感強い所とか感謝してるし結構好きです笑

困難だらけだったけどその分一緒に勝ちたい気持ちもめちゃくちゃ強いです。勝って必ず美味しいお酒を飲みましょう。(りょうさん牛タンまだですか?)


同期とか後輩とかは恥ずかしいので別の機会にします笑


辞めていった同期へ


気づいてたかもだけど正直意図的に距離置いてた。一緒にいたらめっちゃ楽しいけど、自分までチームが、ラクロスが嫌いになりそうだったから。多分今あったら若干気まずい人もいるんじゃないかな笑

1度は共に青春を過ごした仲間として、戻ってこいなんて言うつもりは全くないけどお互いに応援しあえる関係でありたいな。バッタリ会ったら近況でも聞かせてよ笑


なおきへ


必ず戻ってこい。待ってる。

3年 AT 棚橋悠貴



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