あまり感情を表に出さない木島から回ってきました。4年MF田代壮です。
一緒に講義を受けている(イーフトをしている)後輩から、「かいとさんが復帰した日の練習、今まで見たことないくらい木島さん笑顔でした。」って言われた。驚き半分、納得半分。木島って意外とそういう性格だよなあと、イーフトしながら考えていました。
はじめに、平素より上智大学男子ラクロス部に多大なるご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。日々活動を続けられているのは、OBOGの皆さまをはじめ、コーチ陣、保護者の方々、そして応援してくださるすべての方々のお力添えのおかげです。この場をお借りして、心より感謝申し上げます。
時刻は午後14時。さっきサウナxxのヒーターを更新してきたところ。
このブログを作成するにあたり、まずは先行研究として過去の先輩方の引退ブログを確認しました。4年間の振り返りやお世話になった方々への感謝が多く綴られている印象です。
僕からは大きく分けて4つ、このブログに書きとどめます。
1. 交換留学中にラクロス部に入部した経緯とそこでの活動
留学しました。交換留学。疑う人もいるかもしれませんが、入学当初から留学したいなって考えていました。GPAも基準を超え、運よく試験に合格し、行った先はアメリカ合衆国ネブラスカ州。よく、「なんでネブラスカ州にしたの?」と聞かれると、「旅行では味わえない、観光地の少ないカントリーサイドだからこそ、留学ならではの雰囲気を感じられるから」と答えている。でも正直なところ、有名な地域はレベル高くて行けなかった。
そういえば留学前、かいとと一緒にロサンゼルスとサンフランシスコに旅行した。ちょうど部活の夏合宿と同じ時期だったから、サンタモニカビーチから太平洋みて汗ぬぐった。
本題、なんで僕が留学先でラクロスを続けたのか。
” 思っていたほど友達ができなかった ” からだ。
留学前は、現地の学生と仲良く遊んだり、飲みに行ったり、ドライブしたり... そんな生活を想像してた。自然と友達ができるものだと。でも現実はそんなに甘くなく、留学直後は全然友達ができなかった。
正直ラクロスを留学先でも続けるとは思っていなかったけど、ラクロス部に入ったらなにか変わるかもしれない。そんな理由でトライアウトに署名した。
MFで受けたトライアウト、結果は落選。もちろん落ち込んだ気持ちもあったけど、それ以上に「このままじゃやばいな」って焦りが出てきた。どこのコミュニティにも属さず、日本人と戯れて、ただ授業だけ受けて終わる留学生活は考えただけで虚しかった。
だから、落ちた恥ずかしさや後ろめたさなんか気にせず、とっさにコーチにメールした。” Any position is fine, please let me join your team ” みたいな感じ。もっと大げさに伝えたかも。
ラクロス歴2年のプレイヤーなんていなかったし、パスもキャッチもミスをする。それでも、他の誰よりも入りたい、そんな気持ちはあった。幸いなことに、コーチが僕のことを「英語があまり伝わらない日本人」って印象で覚えていてくれた。トライアウトのウォーミングアップでやったアメフトが印象的だったらしい。
コーチと対面で話した後、SSDMとして、クリアをするときに起用するという条件付きのもと、チームに参加できた。
もちろんうれしかった。けど、参加できるとなった瞬間不安に押しつぶされそうだった。やったことないポジション、慣れない英語での練習がこれから始まると思ったから。
そんな不安を抱えながら、初回の練習に参加した。自己紹介のときに、現地で使っていた自分のニックネームを伝えると一気に流れをつかんだ。
自分の名前「SOU」のスペルをもじって「Siuuu」(クリスティアーノ・ロナウド選手のゴール決めた時に叫ばれる言葉)がニックネームだった。クリロナは世界共通で伝わりやすいし、アメリカの人はこういうノリが好きだから。
チームメイトからこのニックネームが好まれ、自己紹介後に輪の中で実際にゴールパフォーマンスした。自分史上一番頑張ったけど、想像以上の声量で「Siuuu」が返ってきて、自分の居場所はここなんだなって思った。
初日、グラウンドに向かう途中は逃げ出したくなったけど、その日寮に帰る時間は日をまたいでいた。最初の頃はball, knee, goalみたいな簡単な単語しかわからなかったけど、練習中にチームメイトに聞いたり、オンラインミーティングを誰かと一緒に受けたりしながら徐々にラクロス英語を理解していった。
ほかに学んだことは、練習中には絶対に謝らないこと。文化の違いかもしれないけど、例えば近い距離で打ったショットがゴーリーに当たった時、日本人プレイヤーの多くがその場でゴーリーに駆け寄ると思う。実際、僕もクラブの練習で当てた後にとっさに謝った。嫌われたくなかったし。練習後に、そのゴーリーからショット当てても謝らずに痛がるゴーリーを無視しろって言われた。舐められるから。
野球に例えるなら、日本のプロ野球ではデッドボールを与えたピッチャーが帽子を取って謝意を示すのに対し、メジャーでは帽子なんて取らない。次のピッチングに集中する。
これに似てるのかも。
活動全体を振り返って、競技の練習以外にも、他州への遠征の車内やちょくちょく誘われたパーティの思い出が多く、チームでラクロス一番下手だったけど、出会いに恵まれてめちゃくちゃ楽しい思い出だった。
誰かの言葉を借りるなら、「短い期間だったけど、こんなラクロス人生を送れて幸せだった。」と表現しよう。
2. 復帰してから
この章で書きたいことは二つ。最終学年としての自分とOBOG係としての自分。
復帰する日の練習前、正直少し不安だった。新シーズンもすでに始まっていて、どんな形で復帰するべきなのか、真面目に考えた。
結局答えが出なくて、練習に一人で行くのが嫌で、休部前によく外部練に一緒に行ってたあおとに「一緒にいこ」って電話した。
久しぶりに会ったのにあおとの反応が薄くて少し寂しかったけど、きっといつも通り接することで緊張ほぐそうとしてくれたのだと思う、たぶん。練習場所に着くと、いろいろな人が声をかけてくれて不安や緊張がほどけた。円陣をやすから指名されたとき、何を言えばいいかわからず戸惑ったけど、積極的にチームへと巻き込んでくれたやすの行動に感謝している。
そこから今までを振り返ると、あまり復帰前と変わらないかな。今いる部員みんなのおかげでチームに早く溶け込めた。みんなありがとう。
1つだけ、同期に謝らないといけないことがある。試合に負けたあとの学年ミーティングで反省出すとき、みんなは常に「最終学年としてどうあるべきか」という視点で考えているのに対し、正直自分は復帰してからずっと自分のことばかり考えていた。プレーや体力に関して後れを取り戻すことばかりで、チームのことを考えられていなかった。毎度その差を感じるたび、心の中で申し訳なく思っていた。
OBOGの活動について。
復帰してすぐ、OBOG係として大きな仕事があった。5月31日に開催した保護者会だ。
復帰前は、保護者会を含め多くの行事の進行をOBOG係の先輩方が担ってくれ、頼りきりだった。ただ、復帰後は最終学年が自分たちの代になり、良くも悪くも自分たちの行動で行事が左右される立場になった。
今回の保護者会で特に意識したのは、見ている側がのめり込める会であるかどうか。つまり、参加者を飽きさせない構成になっているかどうか。
保護者の方が求めるものは何かを考え、昨年度に比べて大きく内容を変更した。中でも大変だったのは1年生紹介動画の作成。保護者会に参加される方の多くは新入生の保護者だったから、1年生に部に入った理由や意気込みを一人20秒程度で話してもらい、編集して一本の動画にした。
過去に例のない取り組みが多く、正直不安に思っていた人も多かったと思う。それでもOBOG係みんなの協力があって、無事に終えることができた。
悔やまれるのは、当日スピーカーのテストを行えなかったこと。1年生の映像は流せたが、音声が十分に聞こえなかった。
このブログを読んでいる1年生がいたら、ぜひこのとき動画を大切に保存しておいてほしい。3年後に見返すと、体つきや顔つきが大きく変わっていると思う。1年生以外でも、もしこの動画が欲しい人いたら連絡してください。
保護者会直前は、去年のスライドから大きく内容を変えたこともあり、準備に多くの時間をかけた。いつの日かの懇親会に比べて。
同期のざわと夜遅くまでスライドの構成や運営について考え、終電まで大学に残る日もあった。冗談か本気か分からないが、ざわは歩きながら寝られるらしい。実際、この期間も寝ながら帰って、電柱にぶつかったらしい。本当なら、いつか見てみたい。
保護者会後には、一昨年度までお世話になったOBOG係の先輩に会った。席で太一さんが披露した火を使った豪快なパフォーマンス、そんな特技あるならもっと早く知りたかった。
ただ、やるときは事前に教えてほしい。店員さんも含め、店中パニック状態でした。
PS あの会の後、ざわから全然会話に参加できなかったって言われた。次からは僕たち3人は彼に話をたくさん振ろう。
そういえば、いつかの懇親会後にざわと太一さんと一緒にやった「電柱+1on2」の自主練動画、いつ投稿しようか迷ってて結局まだ投稿してなかった。今シーズンの最後の方に投稿します(もちろん音声は抜きで)。
3. 好きなメニューについて
色々なメニューをいままでやってきて、必然と好きなメニューと嫌いなメニューに自分の中で分けてきた。あまり詳しくは書かないけど、たぶん自分の好きなメニューについて書いている先輩方がいなかったから紹介してみたいと思う。
一番好きなメニューは4on3。多分23シーズンでしかやっていないと思うけど、この、メニューが一番好き。深い理由は言語化できないけれど、どの位置でボールを受けてもショットレンジだし、ディフェンスとの接点も基本持たない。ただただ数的有利なオフェンスが気持ちよくなれる練習だと思ってきた。
引退前にやりたい気持ちもあるけど、正直この練習の意図を自分でも説明できないから多分やらないだろうな。
嫌いな(できればやりたくない)練習についても書こうと考えていたけど、締切が近いのでやめようと思います。
4. 「~な君へ」
梅の引退ブログ読む前から書こうと考えてたけど、タイトルはそのままパクりました。
そんな僕から送りたい”君”は、「シーズン中に疲れ切って、いなくなってしまった」君。
これは25シーズンの人だけではなく、それ以前の人(先輩)も含めています。いろいろな思いがあって離れたとは思うけど、もしこのブログを読んでいるのなら部活に再度入部したほうがいいのかもしれない。部活に未練がない人は引退ブログなんか読まないけど、自分からチームのグループlineを退会できなかったり、自主練投稿にしれっと現れたりするのなら勇気を出して戻ってきてほしい。
梅みたいに責任はとれるかわからないけれど、太一さんみたいに1回くらいは練習に顔を出したいと思ってる。
僕の引退ブログはここまで。
サウナxxのヒーター更新からものすごく時間は経過したけれど、書こうと思っていた7割くらいはかけました。残りはまた別の場所で。
次のブログは、一緒に夜中大仏を見に行ったけんご。次は青い珊瑚礁でも見に行こう。


