絶望しているところをよく見るりゅうゆうから回ってきました。1年の今井擢斗です。
すぱじろう食べ終わった後にのすけさんからのマックかKFCどっちにする?と第2ラウンドを提案された時の絶望顔、ボールポイントが備品であたり夜試合後に真田へ置いてから帰ろうとするも夜遅すぎて閉まっていて置いてけなかった時の絶望顔、俺は忘れない。
まず初めに、平素より上智大学男子ラクロス部に多大なるご支援を賜り、誠にありがとうございます。日頃よりご尽力いただいているコーチの皆様、温かく見守ってくださる保護者の皆様、そしてOBOGの皆様に、部員一同心より感謝申し上げます。
「ラクロス」
この言葉を初めて耳にしたのは高校3年生の時だった。高校からの友達でもあり憧れの先輩が大学でラクロスというスポーツをしていて活躍しているという情報を母から聞いた。
当時は昔からやっていたテニスに対しある程度やり尽くした感があったのと同時にこれ以上上へはいけないといった壁も感じていた時期だったので、あまりテニスに対するモチベが高くなかった。
そのため、彼がラクロスをしているという情報を耳にした瞬間からラクロスというスポーツに興味を持ち始めた。どのようなスポーツなのか調べていくうちに、フットワークと道具を器用に扱えるという自分の強みを生かせるスポーツであると知ったのでなおさら大学ではこのスポーツをしたいと思った。
そのため、新歓でも他の部を見ることなくラクロス部にすぐ入部し、少しでも多くラクロスというスポーツにふれ、学年で1番上手くなりたいとも思った。
最初はすごく順調だった。練習すればするほど上手くなっていく。費やした時間に比例して上手くなっていくという経験を久しぶりに体感でき毎日がすごく楽しかった。「全治3ヶ月」この言葉を聞くまでは。
5月中旬の一番最初の防具オンの日に接触プレーで左膝付近を骨折した。医者には全治3ヶ月と言われた。それを言われた最初の1週間は早く治るわけないのに「3ヶ月より早く治ることはないか」とAIに聞きまくったり、ネットで流れてくるラクロス動画から目を背けていた。
その月にはフレキャン、翌月にはうりぼう、さらには毎週のようにある練習試合。そしてこれらを経験して確実に上手くなっている同期たちを見て少し焦りを感じていた。
さらに、松葉杖で通う学校、降りる真田堀の階段、秦野までの道のり。今まで問題なく出来ていた行動が倍以上の時間をかけないと出来なくなったことなども重なりかなりメンタルにきていた。
そんなメンタル下で自分の心の支えになったのがお前は上手いから早く復帰しろといってくれる同期たちだった。
1日でも早くあいつらと一緒のフィールドに立ち試合に出て勝利の感情を分かち合いたい。
この思いが自分のラクロスに対するモチベを戻し、さらには上げてくれた。
そこから動けない間はクロスワークや戦術、ギプスが外れてからは壁当てなど、今その瞬間自分ができる最大限のことに集中して少しでも上手くなれるよう努力した。今では全国リハビリ1年ラクロッサーの中ではTOP5には入るくらい上手いと自負している。
骨折から3ヶ月後はちょうどサマーの直前。このブログを書いている現在もMRIの結果を待っていてサマーに出られるかどうかまだわからない状況下に置かれている。結果がどうであれ自分はできることを全力でやるだけ。怪我が完治し次第速攻でみんなに追いつき、学年で1番になります。
次は壁県壁市壁町壁通りカ-べにお住まいのまささんに回覧板を回します。自主練の音楽好きだから続けてくれ。

