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2025

【引退ブログ 4年 #3 MF 玉川賢伍】

Siuuu warriorsこと田代壮から回ってきました、4年#3MFの玉川賢伍です。

そうとはいろんな景色を見てきたものです。

青い珊瑚礁いいね、サウナxで貯めたお金でいくことにしよう。

そんな彼ですが、一言で表すなら「Clever」

僕がこれから生きていくうえで彼の機転と知恵は欠かせないのでこれからも隣にいてください。



はじめに、平素より上智大学男子ラクロス部へのご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。皆さまの支えがあってこそ、私たちは日々活動しています。OBOGの皆さま、コーチ陣、保護者の方々、そして応援してくださるすべての方々に心より感謝申し上げます。今までの感謝の気持ちを力に変えてみせます。



「たまたま同じ舟に乗りあわせた仲間」

引退ブログを書くとなるとこんなフレーズがよぎり、どこか寂しい気持ちと乗りあわせてよかったとほっとする気持ちになる。



1年前の学年ミィーティング。

そこでわたひろの言った言葉が忘れられない。

「自分がラクロスをやる意味、それに対して1プレイヤーとしての正解をみせる」


それを軸に、僕がどんな人間かが垣間見え、誰かの背中を押すブログになれば幸いです。



突然ですが、みんなの原動力はなんですか。

ラクロスが好き・一緒にいる仲間が好き・頑張ってる自分が好き・誰かを支えるため。


1年目の時は特に、高校の友人に会うと「なんかゴツくなった?」と言われる一方で、

自分でもなんでラクロスやっているのか分からず、悔しかったのを覚えています。

この4年間、ラクロスをやる意味を追い続けていたような気がします。





時は遡り、小学4年生


親の勧めで中学受験を志す。今の環境を抜け出したいという気持ちと女子は先生にちくるから男子校がいいというなんとも思春期チックな理由が原動力だった。


その当時は、足の速さとクロスでアシストすることから、右利きの長友なんて呼ばれていた。運動会の徒競走で学年1位を取ったときには家族・親戚からは褒められ、チームメイトからは尊敬された。杉並区で1位になったり、マリノスやフロンターレといったチームと試合してたこともあり、環境に恵まれたサッカー少年だった。

正月の高校サッカーをみては、自分が高校生になったらもっとうまいだろって思ってた。ここで根拠のない自信ってやつを身につける。


海の城という響きのかっこよさと男子校という点に惹かれ、第一志望を決める。

けど、純粋な学力不足とサッカーだけは絶対にやめたくないという理由で断念。

サッカーが強い中学校という軸で、暁の星を志す。


見事合格し、サッカー部に入部し、運命のA・Bチーム発表。

結果はまさかのBチーム

左足から逃げていたことと、大人に気に入られるのが下手なのが原因だったと思う。


それからはたまにAチームにあがっては目を見張る結果を残せなく、なにか自分から動き出すこともなく、気づいたら同期が全中で全国3位を取っていた。


早くAにあがってこいよと期待をしてくれる友人もいたが、監督がいまさら評価してくれるわけないだろと不貞腐れていた。


Bチームで出場する夏の私学大会では実質的なキャプテン?だった。練習では本気でどなり、試合に負けた時は本音で悔し涙を流した。よき仲間をもち、しあわせだった。


高校サッカーに上がり、自分だけ学年が1つ2つ上の先輩と試合したりしていた。

けど、Aに上がるとかそんなことは考えないで、同期の友達と過ごすことを第一優先。

居心地のいい方にいたいという甘えがあったと思う。


気づいたら、高校3年生。

大学受験が迫っていた。

やりたいこと・なりたいものが明確に定まっていたわけでもなく、とりあえず上のところみたいに考えていたが、唯一気になる学問を見つけた。

本気で目指してみることにした。だめだった。


振り返ったときに結局、あの時みた高校選手権に出ることはなかった。

なにより少年時代の自分を裏切ってしまったのが悔しかったし、申し訳なかった。



時は流れ、大学生。

ラクロスをしていた。

サッカー部にしなかったのは、どうせ二の舞という見切りとサークルの方が楽しそうだったから。

新歓でかけられた日本代表になれるとか、全国1になれるとか、そういった言葉は正直何も響いてなかった。

「そんな簡単になれるわけないだろ」と心の中で一蹴していた。

けど、その当時ほんとに日本代表の先輩がいて、でかくて強くて速い先輩がいた。

そんな環境・人が魅力的に見えた。


そこからの1年半。下級生として過ごすラクロス部はまさに青春だった。

同期とほぼ毎日顔を合わせては、くだらないことをしていた。面白い先輩にも囲まれ、楽しかった。


シーズンが変わり、勝てなくなっていた。

当然勝てないと楽しいはずもなく、この先ここにいることに不安を覚えた。

そして逃げた。



「やればできる」

「やる気になったらすごい」

こんなセリフを22年間浴びてきた。

この言葉を褒め言葉として捉えてしまうのがab型のよくないところだが、

結局弱くて甘い自分に負け、逃げる人生。


ラクロスという単語を聞いただけでなんだか負い目を感じ、

ラクロス部で過ごしたあの時間は果たしてなんだったのだろう。



人生を通して、後悔する気がした。

もう変われない気がした。





そんな混沌とした感情を辞める時に引き止めようとしてた先輩にぶつけることにした。


その人はラクロスにまっすぐで、けどプライベートはかわいくて、サイコパスな人。


今この気持ちをその人にぶつけたらなんて返ってくるのだろう。その期待と不安を込めて相談した。



その感情に任せればいんじゃない

くわしい理由とか知らないけど








一言でいえば、

自分にけじめをつけ、そして変わりたかった。








それからというもののは、思っていた以上に風当たりが強かった。

苦しかった。

けど、自分を変えるという信念だけでやってきた。




今シーズンの上理戦

2年前、無力だった自分を変えるという意気込みでピッチに立っていた。

木島からパスをもらい、縦ランを決めた時には気づいたら大井の空を飛んでいた。


埼玉戦

リーグ戦初出場ということもあり、根拠のない自信と気持ちを震わせていた。

結果は2得点。個人としては満足だったが、最上級生として勝たせてあげれなかった。


塾高戦

試合に敗れた時、自分の無力さ・情けなさに落胆した。

悔しいというより恥ずかしいが強かった。


学芸戦

2得点2アシスト

相手の実況では3番やばい3番やばいと連呼されていたらしい。

脅威となり、ほんとに嵐を巻き起こしていた。

チームが勝利した時、とてつもない喜びに包まれた。

やっと貢献できたと思えた。







そして引退を控え、何を思うか。









「夢を与える存在になりたい」


これがいまの自分が、ラクロスをする原動力であり目的。

プロになるわけでもなく、もう引退する4年生が個人として、ピッチに立つ理由。


3年前、勇気をもらった3番の背中を追いかけてピッチに立っているように。

次に繋がると信じています。








後輩たちに向けて1つだけ



「すべては君次第だということ」



人生は選択の連続という言葉があるが、大事なのはその選択自体ではなく、そこで何をするかということ。


せっかくラクロス部にいるのなら、

やらされるのではなく、やりたいと思ったことを。

敗北からは勝利をつかんでいきましょう。

そして、自分の人生、自分で動かしていきましょう。


何事も失敗と捉えるか、成功に変えるかは君次第。

そのままでいいと思うならそれでいいし、変わりたいと思ったのならいつだって遅くない。


ただ、僕からいえることは、「辛い時こそ踏ん張ってみること」


結果が出てる時はみんな頑張れると思う。差がつくのは苦しい時。

踏ん張れなかったとき、

限界を自分で決めたことに後悔し、小さくなっていた。

踏ん張れたとき、

自分への期待と自信となって帰ってきた。


あの時があったから今があるなんて思えますよ。





お待ちかね感謝パート



3年生

3年生との出会いは夏合宿の河口湖での印象が強くて、相撲でせいごには勝ったこと、いわたけいた(蛍光色)には負けたのが懐かしい。

君たちが2部でプレーしているところを本当に見たい。

帰ってきた時もたくさん話しかけてくれてありがとね、楽しかった。

最後くらい頼ってくれ、先輩がんばります。


2年生

少数精鋭という言葉が似合う代。来年は君たちがいかにやれるかだと思ってます。

今年は海いったなー、来年もまたやろう。

けんにいって呼ばれるのちょうど弟が欲しかったから嬉しかった。


1年生

早く君たちに会いたかったというのが正直な感想。ラクロス一緒にしてみたかった。

令和キッズなのは間違いないけど、その負けん気とラクロスにまっすぐなところは確かで

、間違いなく強い代だからこれから楽しみ。


同期

当の本人たちは覚えてないだろうけど、去年帰りの車で早くaに上がってきてよと言われた時は心の底からこの同期でよかったと思えました。同期との思い出はたくさんあって振り返りたいけど、長くなりそうなのでまた別の機会に。卒業旅行は絶対にいこう。






あと、支えてくれた家族へ


いつもおにぎりありがとう。気づけば10年前。朝慌ただしく家を出る息子に起こされることももう終わりです。常に応援してくれる存在だったし、いつもどこかで心のそばにいてくれた、本当に素敵な母親です。ありがとう。


何したいって言っても引き留めることなくやらせてくれてありがとう。

こんなの当たり前じゃないですよね。

就職活動は本気でやってます。親孝行はたっぷりします。




与えてもらった人へ


尾野くん

誘ってくれた人が居なくなったときはちょっと寂しかったかな。

けど、尾野が居なきゃラクロスなんて知りもしなかった。       

あの時誘ってくれて、一緒に壁当てしてくれて、ほんとにありがとう。

試合みんなできてね。もう俺らも引退しちゃうよ。



はやとさん

部活辞める時に引き留めようとしたのも、部活戻るって相談したのも、あなたでした。

叱ってくれたのも、期待してくれたのも、全部覚えています。

ほんとにお世話になりました。



まりのさん

プレーしっかり見てくれてるところ、テーピング剥がれたらすぐ駆けつけてくれるとこが印象的でした。

まりのさんのテーピングがなかったら今ごろおじいちゃんダッチをしていたに違いありません。パワーアップしたよ俺の膝。お世話になりました!



えいし

今シーズンの得点じつは全部えいしのまねしてるだけ。

後輩ながら、1番近くにいるロールモデルだったかな。

学芸戦ではクロスもパクりました。

来年のえいしの活躍楽しみにしてる。


せいご

大2で出会った時あんな小さかったのに去年からやかましいほどに存在が大きくなってることに感激したし、影響された。褒めてます。

オフェンスの気持ち忘れんなよ。

暁星魂みせてやろう。








誰かがするからとか、みんなしてないからとか、もうだめだからとか関係ない。

自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、本気で勝ちたいのか。


それが何よりも1番の原動力であること。


この場所でしか得られない輝き、弱さ、喜び、屈辱に出会えました。


ラクロスやってよかった。







サッカーをやめ、ラクロスを始めたのも


ラクロス部に大学生活を捧げたのも


このチームを勝たせることも




おれはもうとっくに決めている。


やってやる、刮目せよ。









次のブログは生命力高めのかいとです!

最初の頃は何いってるか分からなかったけど、慣れって怖いです。今じゃ他の人が遅く感じます。油組は俺が1/4の食べる頃には完食していて、このままだとめっちゃ生き急いでるやつだからね。

最近より仲が深まってきたから、そろそろ家族パーティーでもしよう。



4年 MF 玉川賢伍


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