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2024

【引退ブログ 4年 MF 横山太一】

引退ブログ

 

時には熱く時には怠惰で、知れば知るほど不思議ちゃんのじゅんたくんから回ってきました。

 

 忖度無しにじゅんたは同期の中で一番本音を話せる中だったのではないでしょうか。なのでいい意味でお互いの痛い部分を突っつきあったと思います。一時期は蒸発してたけど4年続けてきてお互い良かったね。

 

 

 

 

改めまして平素よりお世話になります。上智大学男子ラクロス部横山太一です。

 

引退まで1週間となった今でも自分の中ではもうすぐ引退という感覚が全くなく、このブログを書くという活動を通し、4年間の終わりを迎えていく寂しさも感じるこの頃です。

 

くらかけ曰く文章は深夜に書くといい意味でパキれるというで、この文章もこの御言葉を参考にさせて頂いています。

 

 

 

長く拙い文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。

 

 

 

この4年間を通し伝えたいことをわかりやすくするためざっと3年までを振り返ろうと思います。

 

1年生

 

こんな感じの性格ですが、根っからの体育会系精神でスポーツをなあなあにやるのが嫌だったので、初めからサークルより体育会一本で何に入るか考えていました。

中高6年していたソフトテニスも上智の環境が悪く選択肢になかった中で、高校の同期を誘ってラクロス部の体験会に行きました。

すると高校が同じの香浦さん筆頭に完全に囲われてしまい入部を即決した感じでした。

他にも理由があるとすれば4.5月のホームシックが酷く大学に自分の足で行く気力さえなかったので、朝から始まるそれなりに厳しいこの部に入れば1限に間に合うだろうという感覚で決めたのも理由の一つです。

 

しかし同期との実力差も広がり周りから起こられるのも怖く、新しいことに挑戦することから逃げ続けた結果、何も残せないもったいない1年だったなと思います。

 

獨協との合同練に始発で参加して、2時間グラウンドの端でネットに向かってシュー練してた頃はよくモチベを保てたなと感じます。

 

2年生

5月末の足の指の骨折。全治5か月手術前の全身麻酔の説明を受けた時間と管だらけの入院中のベッドとがちがちのギプスは生きた心地がしなかったです。

その中でもポジティブな要素としては笠間さんに自分の最大の悩みが脳神経の障害と指摘してもらい自分で病名を探す中で、治療法が確約されていない希少性疾患であったことが分かりその検査を行っている中での骨折でした。

治ればこの症状に悩まされることがないことと自由に身体を動かせることへの期待感が不安を上回っていたことがリハビリを続けられた要因だったと思います。

今研究室でこの病気に関する研究を進めていることもありこの年は人生の分岐点に近いものを感じています。

(この時期は特にせれなとゆりさんにお世話になりました。ありがとうございます)

 

この通り骨折した思いでしかありません。あとは完治してない足で秦野の山を歩いたり、長直にガチャガチャのカプセルを突っ込んで取れなくて激焦りしたことですね。。

 

3年生

 

 足も完全復活し試合や練習をこなしていく中で、2つ上の先輩が抜けた穴を雰囲気からネガティブに感じる部分が増えた。いいプレーをほめる声も少なく、ミスに対して哂う。試合になれば審判への暴言や露骨なファールと互いのポジションへの文句が横行。誰が見てもいいチームではなかった。

 

時効だと思うので書きますが、運営に回り放送席から見ていた上南戦は4Qの逆転を見て心の中でガッツポーズをしていました。

それほどに自分の心がこのチームを避けていた部分がありました。

 

言ってしまえばこのチームに自分が存在してるという感覚があんまりない感じ。

それでもラクロスが好きでラクロスが出来る環境がここだったので、ひたすらについていっていたそんな年でした。

 

リーグ戦に向け雰囲気は改善されるものの、結果は降格。

もっと早く自分がチームを変えられたのではないかとかなりの時間頭を悩ましていました。

 

個人的には上理戦の立ち上げとコロナ禍以来となるOB戦と納会の復活に貢献できたことは財産になりました。それはポジティブ要素でしたね。

 

4年は見ての通りです。書かなくていいでしょ

 

 

 

 

 

こんなラクロス部生活を送っていく中で大事にしていたことが「存在意義」です。

 

このブログを読んでいる人はほとんどラクロス部の人だと思いますが、自分が部活に居る理由って何か考えたことはありますか?

 

 

おそらく誰もがなんでこんなにしんどいのに、朝早く起きて練習に行って自主練やミーティングをしていたら気づけば寝る時間。そして友達のインスタを見たら旅行に行っている様子を見たとき、自分と周りとの時間の使い方につらくなったことはあると思います。僕自身も1年生の頃は、友人に朝からしんどいと漏らすこともありました。

しかし、相手からすると同情するまでが限界で、疲れてるなら辞めればいいと感じるし、しんどいアピールなんて聞きたくないものです。

 

そこで僕が考えたのは「存在意義」つまり自分が最も個性を発揮できる環境を自分から求めることです。

 

もし今、貴方が部活に居る理由を周りの存在に任せてるなら、今すぐにその考えは辞めるべきです。その人は自分の存在をモチベにしているとは限りません、むしろ煙たく感じてるかも知れません。

またそのモチベでやっているといずれ自分が中のタガが外れると思います。

 

こんな他人任せなマインドならば、はっきり言って部活なんかせずに他のことをすればいい。大学生なんて、どこでも人間関係は構築できるし無理をする場ではないと思います。この組織を外れ新たな環境に出るのが怖いのであれば、問題ありません。この組織に入るという決断が出来ている以上別の環境に移る怖さには別に問題はないと思います。

 

思い出づくりには体育会は時間の使いすぎです。

 

 

 

なかなかにマイナスなことを書いてしまいましたが、どうやって存在意義を見つけるのか分からない人もいるのではないでしょうか?

 

僕なり考えたのは、まず誰にも負けない強みを身に着けること。

 

 

プレイヤーならショットやグラボ、対人、ウエイト。スタッフならルールやテーピングなど目に見えて自信を持てる何かを身につけられるといいと思います。これがあれば褒められるし目に見えて必要とされるのでおすすめします。

 

それでもこのように強みを探すのが難しいなんて感じる人もいると思います。

 

そんな人は周りをプラスにする個性を発揮することです。誰よりも元気を出したり、練習中に積極的にコミュニケーションを取るなど継続することで信頼は得られると思います。

 

それでも難しい人は自分の立てた目標をただ継続させることです。

 

僕はこれにあたります。かなり大雑把に書きましたが要するに「負けん気」と呼ばれるやつです。僕自身はプレイヤーで一人暮らしがほとんどいないため続けなければ実家勢に何もかも負けてしまうというマインドで本能のままやってきました。それだけじゃ物足りず上理戦だったりOBOG係に力を入れていた感じです。

 

 

要は誰かの事を盾にすれば悩むことも傷つくこともなく楽に過ごせるけど、そこで得られる努力や結果から感じる感情の重みはかなり差が生まれると思います。

この4年を生かすも殺すも自分次第です。

 

周りに変化が起こるのを待たず、自分から理想の環境を作る為に追い求めてください。

それが出来るのが学生主体のこの部の最大の魅力です。

 

 

35年の歴史を迎えたこの部には、35個の成功と失敗がそれぞれ存在します。

良くも悪くも過去を真似るのもいいですが、大学スポーツは年ごとに色が変わります。

だからこそ自分たちから変化と自分が出来るものへの価値を求める必要があるのです。

 

 

いろいろ書きましたが、この部とラクロス部というスポーツそのものを楽しいと思える自分の中の幸福論を描くということ。

そして人に迷惑をかけて生きていく以上人の失敗を受け入れられ人が増えていけば、このチームは最高傑作のものとなっていくのではないかと感じます。

 

 

 

ここから感謝パートです

自他ともに認めるくらい波のあるラクロス部人生を過ごしたので多くの人にお世話になりました。

 

 

育成コーチのお二人

 

 学科の先輩であるお二人は1年生のころただラクロスをやってみたいという気持ちだけで入部した自分に大学スポーツの在り方を教えてくださいました。4年になり大学院に進路を決めた今自分が思うことは、貴方たちのラクロスに対する熱量とそもそもの体力が異次元だなと感じます。改めてお世話になりました

 

 

りょうすけさん

 

4年になってからもBチームの動かし方についてのミーティング、それ以前にも勉強面やアフターや動画の反省を個人で切り取ってくださり、全く使えない自分にまで手を伸ばしていただき本当にお世話になりました。出来たら張先生の機嫌の取り方も教えてもらいたいところです。

 

たくまさん

 

けんぽ帰りの田野1万円チャレンジだったり、今はいない化け物集団に交じり日高屋やマックに何度も行きましたね。ですがダントツの思い出は、南砂町で終電までマンツーマンのショット練をして次の日の練習にたくまさんが始発で真田に居たことですね(笑)。あといつでもBBQ誘ってください。

 

 

 

OBOGの皆様

 

この代の誰よりもOBOG係として皆様に関わっている身として、冒頭の挨拶のみではあまりに無礼と感じたためこのパートで書かせていただきます。まず初めに今年度の35周年イベントの参加及び配信機材購入におけるクラウドファンディングのご協力ありがとうございました。

 

特にお世話になった潮さんやまっすーさん、TRIBEメンバーの伊東さん、石岡さん、山田さんにはコロナ禍に入り止まってしまっていた縦関係の再構築に何度もご支援いただけました。何より自分が皆様とお話をさせていただく中で皆様から頂く「声」というものが大きな力になったと考えております。試合での応援はもちろんのこと、35周年イベント、父母会の開催に際し、社会人目線での学生に求めるものや学生からは伝えにくい内容を代弁していただいたことが問題なく共に終わらせることが出来た要因と考えております。

後片手で数えられる練習と入れ替え戦を終えると自分もそちら側の人間になります。どうかかわらずご支援ご声援の程よろしくお願いいたします。

 

 

 

OBOG係

 

 流れを汲んで書くけど来年以降本当にみんなで仕事の分担をして動かしてください機体半分不安半分の5人です。

 

もと つぐ みいゆ

 

3人とも「ちゃんとやりますから」と大体同じタイミングで仕事モチベを上げて、同じタイミングで「次あいつの番ですよね??」と言い仕事から逃げる3人。根がまじめなのはひしひしと伝わるからコーチ陣の目につく前に広報頑張ってね。3月の納会の司会めっちゃ楽しみなので、今年みたいな事故を起こさないようにね

 

 

ざわ

 

冗談抜きで上京してきて会った人の中で一番おもしれー男だったなという印象です。半年間人生経験が長いからでしょうか。OBOG係について書くと、今年の納会の事前事後の仕事で爆発しそうになったのは紛れもなくあんたのせいです。中野の野方ホープでざわとそうをクビにさせないための言い訳を各方面に伝える作業はこの4年間の部活生活で1番の地獄でした。僕の家にシーシャを置くのは勝手ですがこれからも仲良くしてほしいなとは思っています。

 

 

そう

 

話しかけてくれた回数だけなら一番多い後輩な気がします。去年の春先にあまりに仕事をしないという理由で、当時面識のなかったまなかさんにアメリカから説教をされている時も「いったん飲みに行きませんか?」しか言わない図太さはある意味見習うべきだったのかも知れません。2年やろうと言いつつ出来てないOBOG会やりたいので、ちょいちょい連絡くれたりもするけどいつ帰ってくるか聞いてないのでそれだけ教えてくれ。あとラクロス部の日常復活して

 

 

2人とも大学院で待ってます。

 

 

2日でOBOG係をクビにした石島

 

 入部直後はすんごい関西ハラスメントしてきたね。夏場に腸が弱くなる者同士として今後も頑張りましょうね。

 

 

 

Bチームメニュー決めグループのみんな

 

恐らくこの1年で一気に交流する機会が増えた3人だと思います。真面目4割おふざけ6割の4人のグループLINEは気持ちの悪いノリで通知が100件以上溜まってるなんてこともありました。院試直前期には部の誰よりも応援してくれた3人なのでこれからも何らかの形で僕から還元出来たらななんて思ったりもしてます。中京武者のあの話はここだけの秘密だね。

 

 

こた

 

学科の後輩でこたがGPAを保てているのは紛れもなく君の努力というより、僕の履修管理と過去問と過去レポの提供さまさまだと思います。やる気がなさそうで実はラクロス熱高めのこたには今後も期待しています。今年やってきたメニューの意図共有や素材集めは今後のラクロス人生に必ず価値を出すと思います。あとはこれからも僕の晩飯の献立は決めてください。

 

 

けいた

 

 上級生の中で2年のまじめ枠として知られているけど割と早いうちにけいたの素のやばさを知れた方だと思います。とはいえ一つの問題に解決する力や手を抜かないところや1年生に対する面倒見の良さ、たまに行き場のない僕の悩みに対して誰よりも相談してくれた部分は4年である自分が情けなくなるほどに助けられました。やばいところを書き始めたら倍くらいになるのでこの辺で止めとくね。

 

 

せいご

 

 まずは、Bチームリーダーお疲れ様。1年生からも舐められがちだけどそれだけ距離も近く、誰とでも親しくできる性格がせいごの良さだと思います。今年のリーグ戦の成城戦の配信での僕とせいごの実況解説は、今年の配信史上最悪の出来を更新したと思えるほどのクオリティでしたね。でも入れ替え戦は2人で一緒に応援席側じゃなくてボックス側で並んでたいね。

 

 

地元と学科の友達へ

 

ここに並べるべきかそもそも読んでるか考えたときに、世話になった度合いではかなりのウエイトを占めてるので書きますね。学科のみんなは、上京してすぐに東京の右も左もわからない自分にホームシックになる僕の面倒をよく見てくれて本当に感謝しています。院に残る組みは最低あと2年乗り切りましょう。けど学科の集まりを試合前日だったり始発で練習に行く日に開催するせいで参加できなかったのが心残りなので卒業までに集まりたいです。

 

地元の友達も僕が帰省した時やこっちに遊びに来た時に、部活をしながらまともに生活を送れているのか心配してくれましたね。最初のころは日をまたいでzoomをしたり電話したりで東京に出るという判断を自分がしたにもかかわらずみんなに依存しまくっていました(若干今もやけど…)。年末会えるのが超楽しみなので、今は入れ替え戦に向けて全力で駆け抜けるんでちょっとでも応援してもらえると嬉しいです。

 

同期へ

 

 それぞれに書くのは絶対にまた会うのでその時に話せばいいのでここでは省きます。1年生の時から身をもって感じる実力差がどうしてもどこか自分と周りとの壁みたいなのを感じ距離を置いていた部分がありました。ですが自分が入れ替え戦で自分の力で勝ちたいという気持ちはみんなと同じように持っています。ウィンターあすなろ去年の東洋と入れ替え戦、そして今年の成城と大事な試合で勝ち切れていないこの代の最終戦絶対に勝とう。

 

 最後に家族へ

 

 まず初めに東京での一人暮らしというお金のかかる選択肢を選んだことを受け入れてくれてありがとう。引越しをする前にディズニーのキャストのバイトをするなんて言ってた自分が週5で高校の時よりも早い時間に起きて部活をするという生活を選んだことは予想もしてなかったでしょう。でも入学式数日前の家具選びの時点で帰りたいと思っていたのはばれていたと思います。それでも4年間寝坊をしなかったこととどんなに忙しくても週5で自炊を継続したことと自力で11㎏増量させたことは褒めてもらいたいです。あと2年学生をするので世話になります。それ以降帰ってくるかこっちで生活するか未定ですが、年を重ねるごとに会える時間が短くなると思うので会える時間と身体は大事にしましょうね。

 

 

書ききれなかった人ごめんなさい。特に後輩かな。

なんかあったらいつでも大学で会ったら話しかけてね。26卒連れて全試合見に行く予定です。

 

 

次はMGリーダーとして1年間頑張っていたはゆこにパスします。

「なあなあ、わいの関西弁上手くなったやろう??」と文面だけでも危険なにおいのする関西弁を定期的に見せに来ますね。関西弁のネイティブからすると常に聞いてられないものでしたが、中高6年男子校で育った自分にはなんと返してあげたらいいのか答えが見つからないままでした。

この前教えた大阪の焼き肉屋を大分気に入ってくれたみたいなのでこっちのおすすめの店教えてほしいです。

 

熱いブログ期待してます!

 

 

 

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

12/14最高の景色をみんなで見よう。

 

 

こんなに長いラクロス人生を送れて幸せだ。

 

 

#4 MF 横山太一



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